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鈴木重臣教育長が死去

新春に相応しくない話で恐縮ですが、昨年11月1日、鈴木重臣江東区教育長が亡くなられました。享年60才、死因は肺ガンでした。
私がカルシウム通信を書き続けて7年になりますが、初めて物故された方をご紹介させて頂きます。教育長の区政へ懸ける情熱の一端をお伝えできればと思い、筆を取りました。
教育長は昭和61年に江東区児童学園長として東京都より赴任。その後は江東区の職員として厚生部長、企画部長、政策経営部長、総務部長、平成17年4月には教育長に着任されました。


kyouikutyou.jpg 鋭い理論派でありながら抜群の行動力を兼ね備えていました。区民に対しては気さくに接し部下に対しては「責任は俺が負うから存分に仕事をしてくれ」といった頼もしい上司でした。
ところが17年10月の第三回本会議、教育長に異変が起きました。答弁に立つ教育長は冷静さに欠け、顔は苦悶に満ちていました。本会議終了後、病院で脳腫瘍が発見されました。
そこで入院。通いの治療を続けながら翌18年3月には職場に完全復帰となりました。
治療の後遺症はやや見えましたが、頭の冴えは全く衰えていません。周囲にも一切教育長は真実を明かしておらず、私は完治したものと思いこんでいました。実は、肺ガンからの転移が脳腫瘍の原因だったのです。原因が判明した時点で肺ガンの治療は既に不可能でした。
主治医は職場への復帰などとんでもないと説得し、奥様は必死で引き留めました。しかしイジメなど教育問題解決に懸ける情熱は熱く、周囲の反対を振り切っての復帰でした。
教育長の自宅はご実家がある東武動物公園にあり通勤でさえかなりの時間とエネルギーがかかります。しかし普段通り電車での通勤が再開されました。初めはハイヤーが迎えに来る住吉駅まで奥様が付き添っていましたが、本人の強い希望でお一人で通勤するようになりました。
教育長はその高い事務処理能力からほとんど残業したことがありません。またご自宅では全く仕事の話をされないことから、奥様はご主人のことをすっかりマイホームパパだと思いこんでいたそうです。しかし復帰後はご自宅で仕事の話しか話さなくなったそうで、こんな仕事人間だったのかとビックリされたそうです。
肺ガンのために肺に溜まる水を抜きながら、周囲には全く病気の事は話さず、また異変を感じさせません。「議場で倒れることがあっても本望だ」と覚悟を固めながら、普段通りの職務を続けていた教育長の強靱な精神力にはただただ驚嘆するばかりです。
ついに限界の日がやってきました。10月3日の決算委員会。答弁する教育長の顔色は尋常ではありません。6日の文教委員会を最後に再入院されました。その後教育長から20日の最終本会議に出席するとの連絡が入りましたが、奥様からの電話は「欠席」。これは変だと騒ぎになった直後の11月1日に帰らぬ人となりました。そして全ての真実が明らかになったのです。
文字通り江東区に身も心も捧げられた教育長のご冥福をただただお祈りするばかりです。